フィリピン残留2世の賀数アデライダさん(90)、日本国籍を回復 就籍許可は申立てから10日

日本国籍を回復 90歳の旅券

戦争で沖縄出身の父と引き離され、フィリピンで無国籍のまま暮らしてきた賀数アデライダさん(90)が、日本国籍を取り戻しました。2026年10月23日、マニラの日本大使館で日本のパスポートを受け取っています。琉球新報(共同通信配信)とTBS NEWS DIGが伝えました。

賀数さんは、フィリピン残留日本人2世です。国籍の回復を支えたのは、NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)でした。家庭裁判所の就籍許可が申立てから10日後に出た理由を、同センターの発表で整理します。

目次

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何が実現した?|国籍の回復と旅券の受領

賀数さんの国籍回復までの主な出来事
時期 出来事
1935年12月 フィリピン・ケソン州で、沖縄出身の父とフィリピン人の母の三女として生まれる
1951年 兄から、父が亡くなったという手紙が届く
2025年6月 現地のテレビ番組でPNLSCを知り、連絡する
2026年3月 那覇家庭裁判所に申立て、10日後に就籍許可
2026年8月 糸満市を本籍とする戸籍ができる
2026年10月23日 マニラの日本大使館で旅券を受け取る

就籍とは、戸籍のない人が家庭裁判所の許可を得て、新しく戸籍を作る手続きです。賀数さんは「ようやく夢が叶った」と喜びを語りました(TBS NEWS DIG)。

これまでの経緯|父と引き離された戦争

図解:1935年の誕生から、2025年6月の支援団体への連絡、2026年3月の就籍許可、8月の戸籍、10月23日の旅券受領までの経緯
図解:誕生から旅券の受領までの経緯。出典:PNLSC、琉球新報をもとに作成。

PNLSCの発表によると、父の賀数昇さんは戦争中、通訳として日本軍に協力していたといいます。昇さんと長男は終戦前に米軍の捕虜となり、2人だけが日本に強制送還されました。母と、賀数さんを含む3人の姉妹、2人の弟は、フィリピンに残されました。

1934年ごろ、フィリピン・ケソン州で撮影された賀数さん一家の写真
賀数さんの出生前の家族写真(1934年頃と推定)。出典:PNLSC

昇さんは手紙に「皆を呼びたい」と書いていました。再会はかないませんでした。1951年に、父の死の知らせが届きます。TBS NEWS DIGによると、賀数さんは日本人の子であることを理由に、激しい迫害にも苦しみました。

10日で許可が出た理由|残っていた2つの記録

PNLSCは、許可が早かった理由を2つ挙げています。

  • 父の本籍が分かった:厚生労働省の乗船者名簿(引揚船に乗った記録)に、父の本籍が記されていた。本籍は糸満市で、戸籍がすぐ分かった
  • 古い記録が残っていた:両親の婚姻の記録と、本人の出生記録が、奇跡的に残っていた

書類をなくした人にとって、記録が残っているかどうかが分かれ目になります。賀数さんの場合は、父が日本へ送還された時の名簿が決め手になりました。

動画:「ようやく夢が叶った」90歳の賀数アデライダさんに日本のパスポート交付 フィリピン残留日本人2世 戦後の混乱で父と生き別れに|TBS NEWS DIG(TBS NEWS DIG Powered by JNN)

この先|沖縄の親族と父の墓へ

賀数さんは、年内にも父の故郷の沖縄を初めて訪れる予定です。琉球新報は12月にも墓参すると伝えています。親族との面会と、父の墓参りが目的です。

父方の親族が名乗り出たことは、沖縄の親族が見つかったという記事で書きました。国籍の回復で、日本人として沖縄を訪れる準備が整いました。

まだ分からないこと

PNLSCの発表では、5人のきょうだいのうち、今も健在なのは賀数さんだけです。ほかの残留2世がどれだけ国籍の回復を待っているのかは、今回の発表からは分かりません。沖縄訪問の日程も、確定したものは公表されていません。

この記事は2026年10月23日・24日の報道と、PNLSCの発表をもとにしています。

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この記事を書いた人

国内外の前向きなニュースを、公的機関・研究機関・当事者の公式発表など確かな出典をもとに紹介しています。記事は元の発表を確認したうえで独自の日本語でまとめ、誤りが分かった場合は訂正します。

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