縦横およそ7.6×5.1センチ、手のひらに収まる水彩の肖像画が、持ち主の家族のもとへ戻りました。1940年、ナチス支配下のウィーンでユダヤ人の商人が手放した作品です。売却から86年後の2026年8月、オーストリア政府が米ミネソタ州に住む遺族へ返還しました。
受け取ったのは、元の持ち主のきょうだいの孫にあたるジャッキー・ソンデルさんです。ソンデルさんはこの絵を地元のミネアポリス美術館(Mia)に貸し出し、2026年11月3日から2027年5月3日まで一般に公開されています。Miaが2026年11月2日に発表しました。小さな絵が戻るまでの経緯と、返還を支えた調査の仕組みを整理します。
背景と経緯:1940年、100ライヒスマルクで手放された絵
絵は1847年、オーストリアの画家アルベルト・テーアが描きました。モデルは、オーストリア帝国軍の胸甲騎兵連隊の少尉カール・グライスパッハ伯爵です。
持ち主のエドゥアルト・エプスタインさんは、1876年生まれのウィーンの繊維商で、美術品の収集家でした。1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合すると、事業は清算され、自宅はゲシュタポ(秘密国家警察)に捜索されました。
財産を国外へ移そうとしたことが外国為替の法律違反とされ、1939年5月3日から1940年3月7日まで拘束されました。会社の持ち分や不動産、有価証券、宝飾品なども、迫害の結果として奪われています。
釈放から約1か月後の1940年4月12日、ウィーンの軍事史博物館がこの水彩画を100ライヒスマルクで買い取りました。残りの収集品の多くは国外への持ち出しが認められましたが、この1点だけは認められず、名目的な額で博物館に渡ったと、オーストリア総領事館は説明しています。エプスタインさんは1941年5月、妻のマルガレーテさんと米国へ逃れました。
その後どうなったか|2013年の勧告、2026年の手渡し
絵はその後、博物館の収蔵品として70年以上残りました。転機は、オーストリアが1998年に定めた「美術品返還法」です。国の博物館が持つ作品を、ナチス期の迫害で失われていないか調べ直し、該当すれば元の持ち主や相続人に返す仕組みです。
調査を担う「来歴調査委員会」の資料をもとに、専門家でつくる「美術品返還諮問委員会」が2013年3月8日、この絵を全会一致で返還すべきだと勧告しました。迫害を受けた人の売買は、原則として無効とみなすという判断です。
調べる上での難しさもありました。博物館の帳簿に売り手は「エドゥアルト・イスラエル・エプスタイン」とだけあり、売買の書類は残っていません。当時のウィーンには同じ名前の人が3人住んでいました。
委員会は、1937年に2週間ほどしか住民登録のない1人を除外しました。さらに、ナチスが名前に付けさせた「イスラエル」を使う義務がなかった1920年生まれの人より、1876年生まれのエプスタインさんが売り手だと結論づけました。売却の時期が、釈放から下宿への転居までの間に重なる点も根拠に挙げています。
勧告から実際の手渡しまでは約13年かかりました。その間の経緯は、公表資料では説明されていません。2026年8月上旬、ヨハネス・ガスナー副総領事がミネアポリスを訪れ、名誉領事とともに家族や地元のユダヤ人コミュニティーの前でソンデルさんへ絵を手渡しました。
ソンデルさんの祖父母のうち3人は、ホロコーストで命を奪われました。ソンデルさんは、絵を多くの人に見てもらうことで、盗まれて戻った経緯が家族の外にも伝わり、ホロコーストや返還について学ぶきっかけになることを願っています。
Miaのヨーロッパ美術担当の副学芸員ガリーナ・オルムステッドさんは「返還はエプスタイン家に与えられた深い傷を元に戻すものではないが、オーストリアの歴史的責任を認める意味のある一歩だ」と述べています。
数字で見る|小さな絵の86年
| 項目 | 数字 |
|---|---|
| 制作 | 1847年(作者アルベルト・テーア) |
| 大きさ | 3×2インチ(約7.6×5.1センチ) |
| 博物館の買い取り | 1940年4月12日、100ライヒスマルク |
| エプスタインさんの拘束期間 | 1939年5月3日〜1940年3月7日(約10か月) |
| 返還の勧告 | 2013年3月8日(全会一致) |
| 遺族への手渡し | 2026年8月上旬(売却から86年) |
| Miaでの公開 | 2026年11月3日〜2027年5月3日(ギャラリー362) |
| 軍事史博物館が1998年以降に返還した物 | 839件 |
| 同館で相続人が見つかれば返せる物 | 42点 |
出典:Mia発表(2026年11月2日)、オーストリア美術品返還諮問委員会の決定(2013年3月8日、英訳)、在ニューヨーク・オーストリア総領事館、軍事史博物館の来歴調査の説明。86年は売却の1940年から返還の2026年までの差。
国全体では、1998年以降に数千点の美術品・文化財が返還され、オーストリア国立図書館だけで3万2,000冊を超える本が戻っています。それでも軍事史博物館には、持ち主はほぼ特定できても、相続人が見つからないため返せない物が42点残っています。返還の最後の壁は、受け取る人を探し当てることだと数字が示しています。
読者にできること|作品を見る、決定文を読む
- Miaで実物を見る。ミネアポリス美術館は10万点を超える作品を所蔵し、一般入館は無料です(一部の特別展は有料)。絵はユダヤ文化の展示室(ギャラリー362)で2027年5月3日まで公開されています。問い合わせはMiaの発表にある電話番号(1-612-870-3000)か公式サイトから。
- 決定文を読む。オーストリアの来歴調査委員会は、返還を勧告した決定を公開しています。この絵の決定は英訳版のPDFで読めます。帳簿の一行から売り手をたどる過程が分かります。
- 家族の記録を照らし合わせる。戦前のウィーンに親族がいた人は、オーストリア国民基金の美術品データベースで、持ち主の分からない返還対象の品や手続きを確かめられます。
返還は、何十年も前の売買を書類と記録で一つずつ確かめ直す仕事です。手のひら大の絵1枚にも、その積み重ねがあります。同じように略奪品が持ち主の側へ戻った例として、略奪された祭儀用の布2点がベルリンへ戻った記事もあわせて読んでみてください。

